謳歌の音色・5

謳歌の音色・5

透明「次の、あなたは何を与えられるのか

   これが最初の問いに対しての方法論に

   なると思います

亜子「何を与えられるのかがですか

透明「はい己の夢や欲といったものは、

   意外と自分一人の力では果たせない

   ものが多いんです

   もちろん自分の頑張りで果たせる

   ものもありますが、それは自分自身の

   気持ち次第で解決出来たり、奮起し

   頑張れば果たせるものになりますから

   やる気になれば出来るものとして

   認識は目標で止まってしまうんです

   しかし、夢や自分の力だけで果たせない

   欲求というものは得てして現実社会や

   他者の介入無くしては果たせないことも多い

   例えば、芸能人になりたい人がいるとします

   この人は、己のスキルを上げ芸能の世界に入る

   努力は出来ますが、それを世の中の人が

   受け入れるかどうかというのは別の話ですよね

   あわよくば、何処かのプロダクションが認めて

   くれたとしても、それを望むお客さんや

   ファンの人がついてくれなければ、芸能人になる

   目標は達成出来ても夢までは掴めない

   こういうことはザラにあります

亜子「確かにそう聞くと、目標と夢の位置関係

   わかりますね

透明「もちろんこれは例ですが、世の中を構成

   しているもの全てにこのことは当てはまると

   思います

   仕事でトップになりたい沢山の人を救いたい

   お金持ちになりたい恋人が欲しい

   誰かに認めて欲しい結婚したい

   大きな夢でも、ささやかな夢でも、世の中は

   その流れに乗った人だけが夢を叶えることが

   出来るものなのかもしれません

亜子「なんだか、複雑な気持ちになりますね・・・。」

透明「確かに、それが平等かどうか

   それは私にもよくわかりません・・・

   でも、オウル様の言葉はこの真理をハッキリと

   教えてくれています

   先ほどの例で言うと、芸能人となったこの人は

   夢を叶えるために出来ることはひとつです

   この人が世の中の人に共感してもらえるもの

   を与えられればいい

   それが歌であれ、芸であれ、自分自身の

   キャラクターであれ、多くの人に与えられる

   ものがあれば、必ず夢は掴めるはずです

亜子「なるほど、この方が芸能人として沢山の人に

   与えられるものといえば、確かにその通り

   ですね・・・。

   でも、誰しもがそれを与えられるとは

   限りませんし・・・

透明「そうですねでも、自分が何を与えられるのか

   考えることは出来ます

   それを考えることすら出来ないで、消えてしまう

   人も多いものです

   人は自分の欲にのまれてしまうと、求めることが

   多くなってゆきます

   ああして欲しいこうして欲しいこうなりたい

   ああなりたい欲は拡大すればするほど、

   与えることを忘れ、求めることが多くなる

   求めれば与えられるという思想の裏には

   与える側の人の気持ちというものが存在する

   そのことを私達は決して忘れてはいけない

   ものなのかもしれませんね

亜子「そうですね・・・でも、与えても報われない方

   いますよね

真理の掘り下げ

もう少し続きま~す

          続く・・・。

   

   

   

   
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コメント

  1. サエコ より:

    こんにちは~。仕事の日は殆ど帰宅したら寝てます。
    そうですねえ、こないだ上司とそーいう話をしてました。
    結婚相手に求めるものは具体的ですが、「では、あなたは相手に何を与えられますか?」と聞くと、抽象的なものになるんですね~。
    私はお仕事の時給に見合う仕事を出来るように、毎日働いています。

  2. わたぼうし より:

    透明先生、質問です。
    時々わからなくなってしまいます。「与える」ということは 、とても難しいです。
    「与える」という思いと行いは、与える側と与えられる側、どちらがその様な思いと行いがあったとするのでしょうか。
    一方通行の時は、「与える」という事実?はどうなってしまうのでしょうか。
    透明先生はどう思われますか。

  3. 透明先生 より:

    >わたぼうしさん
    確かに「与える」ということと
    「受け取る」ということには
    複雑な行動意識が働くことなので、
    取り方が難しいとは思います{わお}
    ですが、本文にも書いてあるように
    「与える」ということは
    相手が本当に求めるモノを与えること{びっくり}
    そして、そこには
    受け取る側が与えてもらったという認識は
    必要ないと私は思ってます{ひらめき}
    相手がその人に返す形で与える行為が
    感謝というワケですが、
    与えるという行為自体は、本来一方通行でも
    必ず自分の知恵や知識に繋がり、
    人生にとって大切な経験を呼んでくれるもの
    だと思います{YES}
    もし、そこに与えたことを受け取って欲しい
    と望むなら、それは求めているという行動と
    変わりありません{ショック}{汗}
    ですから、
    与えたという事実と、与えられるだけの
    心の器を大切にすることが、
    一番の幸せを呼べる尊い行為だと
    私は常に思っています{YES}
    ですから、わたぼうしさんも
    与えているのなら与えて返ってこない
    ことに心を痛めるのではなく、
    与えることが出来る自分自身を誇ることが
    人生にとって大切なものに必ず繋がってゆく{キラリ}
    と思ってみてください{YES}

  4. わたぼうし より:

    透明先生、お答えありがとうございました。
    私は、与えるということは受け取る側の認識が必要なのだと思っていました。
    そのため、仕事などをしていても人の役に立っているのかと自答すると、答えが出てこなくなってしまいました。
    必ず自分の知恵や知識に繋がり、
    人生にとって大切な経験を呼んでくれる

  5. わたぼうし より:

    途中でコメントが切れてしまいました、すません。
    与えるということは、>「必ず自分の知恵や知識に繋がり、人生にとって大切な経験を呼んでくれる」機会を逆に受け取っていることになるんですね。
    一つ一つ言葉を選んで頂いたお答え、いろんな事を考えさせられました。勉強になりました。

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